美術館に行く前に知りたい【ピカソ】の生涯!ざっくり解説!

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美術館に行く前に知りたいピカソの生涯

こんばんは!こざかいです。

今回はピカソの生涯について、なるべく読んでいて楽しめるような解説をしていこうと思っています!

ピカソはおそらく現在で最も有名な画家ですが、意外とどんな作家か知らないのではないでしょうか。

そのピカソの作品は美術館でも展示されることは多いので、ピカソの絵を見る前にさらっと読める感じの記事を作りました。

ピカソってなんでよくわからない絵を描くの?

まず、皆さんは”ピカソ”って聞くとどんなことを思い浮かべますか?

多くの人によく言われるのが、「何でこんな絵が有名なの?」ってことです。

あなたもこのように思ったことはありませんか?

 © MUSEY [ミュージー]

この絵とか、もうわけがわからんっ!って

形はかくかくしてるし、目がボタンみたいだし、、って

僕も初めはそう思っていました(笑)

まずはこれを説明するために、しっておいてほしいことがあるので、なぜピカソの絵が有名なのかはこの記事の後半で解説していきます。

ピカソは子どものころはめちゃくちゃ絵がうまい

ピカソって実は子どものころから”めちゃくちゃ絵がうまい”って知っていましたか?

もうめちゃくちゃどころではないのですが、実際に14歳ごろに描いた作品を紹介します

出典simojo.com
出典image.space.rakuten.co.jp

う、うますぎ、、!

半端じゃないです(笑)14歳ですよ!?

上の作品は14歳で下の作品は15歳の時に描いた作品です。

すごいですよね。

14歳というと今だと中学生ぐらいです。

これは日本だと美大のトップの東京芸術大学のさらにトップレベルの学生ぐらいです。

そのぐらいの子がこの絵を描いていたのだから半端じゃない。

どうしてこんなにも絵がうまかったのか。

実はピカソの父親も画家で、まだピカソが幼いころから絵を教え込んでいたんです。

その教え方はひたすら巨匠の絵の模写をすること。

そのおかげもあって、ピカソはめちゃくちゃ絵がうまくなりました。

ピカソは英才教育をみっちり受けていたんですね。

とはいえ、もともとの才能とよほどの努力が無ければここまではこれないと思います。

そしてある時事件が。それは13歳の時に描いた鳩の絵が父親に見つかったことがきかっかけです。

その時見た絵は父親を超えたレベルの絵でした。

そして父親は画家をやめてしまったんです。

なんとも言えないですよね。

自分の子でに教えていたとはいえ、13歳にして自分を超えるレベルにまでくると、もう教えられないし、自分の画家としての道も限界が見えてしまいます。

むしろ自分の子どもが作品みたいな感じです。

その子どもが後にもっとも有名な画家になったのですからこれ以上のことはないですよね

ピカソ美術学校に行く

子どものころからめちゃくちゃうまかったピカソは13歳にして美術の上級クラスの試験を受けることに。

試験は1カ月間で作品を制作することだったのですが、なんと1週間で完成させて余裕の合格。試験官もびっくり。

最近はやりの無双系漫画見たいですよね(笑)

主人公が初めから強すぎるやつ

ピカソは初めからうまかった!

で、それから父親が家の近くに小さなアパートを借りてそこから一人で絵を描きはじめます。

このころから、ピカソの絵は今までのリアルな感じから違う変化をしてきます。

それは”象徴主義”という様式に変化していきます。

象徴主義とは人の心や概念を絵にしたものです。

象徴主義って何?っていう人のために簡単に説明すると、

つまり、見たままを描くことから、実際のものとは違うものとは違う要素を入れて絵にし始めました。

例えば人を描くときに、その人から明るい感じを受けたら、実際とは違っていても明るい絵の具を使っていいし、逆に暗かったら暗い色を使っていてもいいということ。

見たままというより、感じたままを描くのが象徴主義なんです。

リアルなままの絵の方がいいじゃん!と思う方もいると思いますが、

リアルな絵のままだとここまでピカソは有名にはなれなかったんです。

なぜなら、リアルな絵を描く人はたくさんいるからです。

それに、美術で有名になるためには、その時代で新しいことをして、そのトップになることが必要なんです。

それからしばらくしてピカソはいろいろな要素を自分の絵に取り入れていきます。

ピカソの作品の変化

ピカソは作品の変化が激しい画家だったということをしっていますか?

ピカソは初期のころは見たままに近い絵を描いていきましたが、途中で青く暗い絵になったり、かと思えば明るくなったり。

またある時はアフリカの彫刻の要素を取り入れたり、そして最終的にみんなが思い浮かべるピカソの代表作が出来上がったのです。(ゲルニカ、泣く女など)

ちなみになんと晩年に近づくころには陶芸家として活動しています。

これだけ作風が変わる作家なので、どのように変わっていったのかを表にしてみました。

青の時代(1901年 – 1904年)
→青い色調で、社会的弱者を描いた暗い作品が多い

ばら色の時代(1904年 – 1906年)
→明るい色で、家族や子どもを多く描いた

アフリカ彫刻の時代(1906年 – 1908年)
→アフリカの彫刻から影響 代表作「アビニヨンの娘たち」

プロトキュビスムの時代(1908年 – 1909年)
→キュビズムが生まれた初期。いろんな角度から見たものを一枚の絵として表現。

分析的キュビスムの時代(1908年 – 1912年)
→キュビズムがもっと進み、何が描かれているのかわからないところまで進む

総合的キュビスムの時代(1912年 – 1921年)
→印刷物などの紙や新聞紙、壁紙をキャンバスに直接貼り付けるコラージュの要素 が入り、より装飾的になる。

新古典主義の時代(1917年 – 1925年)
→キュビズムから一転、分かりやすい作風に。

シュルレアリスム(超現実主義)の時代(1925年 – 1936年)
→シュルレアリスムに興味を持ち、始める

キュビスム表現主義の時代(1937年 – 1973年)
→作風がキュビズムに戻る。このころに有名な「ゲルニカ」「泣く女」が生まれる

ヴァロリス期(1947年 – 1953年)
→陶芸家として活動をはじめる

晩年(1954年 – 1973年)
→過去の巨匠のオマージュや、カラフルな激しい絵を描きはじめる。

このようにピカソの作品の画風は目まぐるしく変わっていっています。

青の時代編

ピカソが19歳のころから”青の時代”が始まります。

青の時代とはピカソの作風が青い色になり、絵の主役も娼婦や乞食など社会の弱者を描いた作品になっていった時代です。

「海辺の母子像」

 © MUSEY [ミュージー]

悲しい感じの絵ですね。ですが、その中で女性は祈っていてそこに対比で希望が見えてきます。

なぜこんな暗い絵が多くなったのかというと、それはピカソの友人の死がきっかけでした。

友人の死のショックで、作品が暗いものになったといわれています。

結構、家族や友人の死で暗くなる画家は多くて、例えばムンクなんかもそうです。

実はムンクもあの有名な「叫び」を描く前に、一時期は母親の死をきっかけに病床で亡くなった人の絵を多くかいています。

「これがムンクの絵なの?!」もう「叫び」とは全く違う、直視できないほど悲惨な絵です。

バラ色の時代編

バラ色の時代はピカソに恋人ができたこともあって、ピカソの絵の雰囲気は明るくなります。

やはり恋人の存在は大きいですね。

これはピカソだけではなくて、他の画家も自分の作品に恋人の影響を受けていることが多いです。

よく絵のモチーフに家族を描く画家は多いです。

ピカソの代名詞キュビズムへ

バラの時代が終わると、いよいよピカソの代名詞の”キュビズム時代”が始まります。

キュビズムとは何か説明すると、一つの物体をいろんな方向から見たものを一枚の絵にするという表現です。

一般的に「ピカソの絵ってよくわからない!」って言われる絵がこのキュビズムの絵です。

見たままの形からだいぶ形を崩しているので、よくわからない絵になっています。

文章で説明するのは難しいので、下の絵を見てください。

「アンブロワーズ・ヴォラールの肖像 」

 © MUSEY [ミュージー]

これはピカソの初期のころのキュビズムの絵です。

肖像画なので、よく見ると人の顔になっています、

その顔が崩されて描かれています。

なぜよくわからないキュビズムになったのか

今まで、ものすごくリアルな上手い絵を描いていたのに、何でよくわからないキュビズムになったのかというと、それには理由があります。

それは、今までにない新しい絵を描こうとしたからです。

今までは、絵は見たままを描くというのが主流で、一枚の絵は一つの場所で見たものを描くということが当たり前でした。

しかし、キュビズムでは、一枚の絵をいろんな角度から見て組み合わせるという新しい表現だったんです。

感覚としては発明に近いですね。

常に美術の世界で名前の残る人は新しいことをした人のみで、美術や歴史の教科書に載っている人はすべてその時代で新しいことをした人です。

彼女に言われて分かりやすい絵へ

キュビズムに長年没頭していたピカソでしたが、

なんと、、!!

ある時恋人のオルガに「もっと分かりやすく描いたら?」といわれ、分かりやすい作風になっていきました。

えっ変えちゃうの?(笑)

なかなかピカソは女性に弱い方だったんですね、

実際には他にもきっかけはあるのですが、恋人に言われたこともその一つになっています。

「 海辺の母と子」

 © MUSEY [ミュージー]

↑変わった時の絵です。キュビズムのころとはだいぶ違いますよね。

その後、作風はシュルレアリスム(ダリなんかが有名だよね)に興味を持ったりして、

結局最後はキュビズムに戻ってきます。

ここで、あの有名な「ゲルニカ」や「泣く女」という代表作が生まれて、ピカソは後世に名をのこすまでになりました。

この2つの代表作は美術の教科書や歴史の教科書にほぼ必ず載っているはずです。

「ゲルニカ」

 © MUSEY [ミュージー]

「泣く女」

 © MUSEY [ミュージー]

そして晩年はキュビズムの絵を描き続けるというよりも、陶芸をしたり、もっと自由に作品を制作するようになりました。

ピカソの絵の値段は?

あの有名なピカソの絵ですが、実際にオークションで取引された価格はいくらぐらいだと思いますか?

なんと2015年のサザビーズ(オークション会社)で最高額で215億円!

作品名は 「アルジェの女たち バージョン0」で215億円は当時のオークション最高額です。

もちろん他の有名な絵はまだオークションに出ていなかったりで値段が決まっていません。

いったいいくらいするのでしょうかね!

まとめ

いかがでしたでしょうか。

ピカソの生涯について知っていると、作品も少し違って見えるのではないでしょうか!

ピカソは作品のバリエーションが広いので、いろいろ調べてみると面白い作品が見つかると思います。

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