村上隆さんについて今回は記事にまとめました!
今回は現代アートの巨匠である村上隆さんについて記事にまとめました!
名前は知っているけど、どんな人?という方も多いと思うので、ざっくり解説していきます!
村上隆とはどんなアーティスト?
村上隆さんは日本の現代アーティストの中で、トップクラスで有名なアーティストです。
世界的に見ても、現代アーティストとしての知名度はトップで、10本の指に入るほど。
大学は東京芸術大学の日本画で、同大学で初の博士号も取得しています。
その後海外で活躍し、株式会社カイカイキキを設立。
日本とニューヨークにギャラリーを持ちながら、作品を制作し続けています。
今では作品を見ない日は無いぐらいに有名になったアーティストです。
どんな作品を制作しているの?
作風はポップアートであり、日本のオタク文化(漫画・アニメなど)をとりいれてそれをアートにしています。
過去の代表的な作品に、等身大のフィギュアを制作した『Miss Ko2』が有名(2003年当時のオークションで日本の現代アートとしては最高額の50万ドルで落札)
村上隆独自のキャラクターを作り、それを日本画と組み合わせた絵画も特徴的です。
日本の歴史を踏襲しつつも、新しい作品に生まれ変わらせ、現代アートとして発表しています。
代表的な作品
『727』
この作品の制作年は1997年で、現在の作風の初期の頃の作品です。
日本画の技法を使いながらも、アニメ調のキャラクターが描かれています。
構図や風の表現も日本画の雰囲気を感じさせますね。
ちなみにこのキャラクターはほかの作品にも多く登場し、名前はDOB君です。
『Miss Ko2』
日本初の等身大のフィギュアとして制作されたのが『Miss Ko2』
海洋堂との共同制作の作品です。
海洋堂はフィギュア系のおもちゃの原型制作の大手の会社で、ガチャガチャでもよく見かけます。
昔、チョコエッグが流行りましたが、そのなかのおもちゃを制作していたのも海洋堂です。
2003年に当時の日本の現代アートとしては最高額の約6800万円で落札されました。
等身大のフィギュアは『My Lonesome CowBoy』『HIROPON』など、のちに数体制作されます。
『五百羅漢図』
2012年制作した超大作。
全長は100mもあり、画像はその4分の1です。
2015年では六本木の森美術館でも展示されており、実際に僕も見ることができました。
美大生500人を指揮して人海戦術的に制作されたシルクスクリーンで、このサイズのものはめったに見ることはできません。
スーパーフラットについて
スーパーフラットとは、日本のアニメーションや漫画、キャラクターに見られるような平面性とその装飾などのことを指した言葉で、村上隆が命名し、定義づけました。
自信の作品もそのスーパーフラットの作品としています。
遠近法を用いずに、余白を多く使ったり、とても平面的に見えるものとしています。
日本の平面文化は、昔でいうと浮世絵や絵巻物が有名です。
海外の絵画は様々な遠近法を駆使したり、光の陰影でものを立体的にするようなリアリティを出していましたが、日本はその真逆を行っていました。
遠近法はほとんど用いられずに、絵に使われる線の抑揚や、空白の間、形のデフォルメを多用して絵画が作られていました。
そののちに、それが現代のアニメや漫画に影響していきます。
江戸時代に浮世絵が海外に渡ったことで、日本の平面性の絵画が海外で評価された時期もありました。
それはジャポニズムと言われています。
コラボについて
村上隆さんはルイヴィトンやドラえもんなどとのコラボを積極的に行っており、それによって知名度も上がっています。
村上隆を知らない人もコラボをしたものを見たことがある人も多いのではないでしょうか。
ドラえもんとのコラボでは、ドラえもんのキャラクターを作品に制作して発表したり、
過去にテレビアニメのドラえもんのエンディングのpvを制作したこともあります(その時はゆずが歌っており、実際に僕も見たことがあります。)
村上隆の経歴
ここからは村上隆さんの過去から現在に至るまでの歴史を簡単に解説していきます。
大学は東京藝術大学の日本画に在籍しており、博士まで修了します。
当時は東京藝術大学の日本画の博士は初めてで、注目が集まりました。
大学院までは日本画を描いていましたが、首席を取ることができなかったため、日本画の道を断念。
そこから現代アートへの道に切り替えます。
そこからはレディメイドに近い作風の作品を制作していきます。
ちなみに2歳下の弟(村上裕二さん)がおり、
その弟は日本画家として活動しています。
村上隆さんと同様に日本画とキャラクターを組み合わせた作品を多く制作しています。
海外に行ってから日本の漫画文化に目を付け、それと日本画をコラボした今の作品スタイルに行きつきます
日本に帰国してからは会社(カイカイキキ)を立ち上げて、アートをビジネスとして運営していきました。
村上隆は日本の美術業界では一般的に行われないことを行なってきたので、国内の美術業界からは多くの批判を受けつつも、新しいことをし続けていました。
例えば、作品の集団制作もその一つです。
これまで、日本では美術作品は作家本人と数人のアシスタントで制作をすることがほとんどで、それを大人数で制作することはほとんどありませんでした。
古くから狩野派は絵画の集団制作を行なっていましたが、現代ではほとんどなかったのです。
現在ではアート作品の制作だけではなく、ほかのブランドとのコラボ、グッズ制作、映画制作、アーティストのマネジメントなど、幅広い活動をしています。
芸術起業論の中で36歳まで廃棄のコンビニ弁当をもらって食べていたという逸話があります。
かなり苦労されていたようです。
日本からは批判が多く、海外で称賛されてたアーティスト
村上隆は日本の美術業界などからは批判を受けることが多くあったものの、逆に海外では称賛されたアーティストです。
常に新しいことをしてきたので、そこに批判を受けることとなりました。
具体的には
・等身大のフィギュアを制作した
→制作した当時のフィギュア業界では、フィギュアを等身大にすることは暗黙でタブーとされていた。
・ルイヴィトンとのコラボ
→大手ブランドとのコラボも当時は珍しく、世俗的に見られたようです。
村上隆の著書
芸術起業論
芸術起業論はアーティスト向けに書かれた本で、自身の変遷やアートの考え方について書かれています。
アーティスト自身が運営する法人の会社自体珍しく、会社のカイカイキキはその中でも大規模です。
なので他では見られないような経験が書かれているので必読。
リトルボーイ―爆発する日本のサブカルチャー・アート
芸術闘争論
作品集 Superflat
作品をもとにしたグッズ
村上隆さんは作品をもとにしたオリジナルグッズを幅広く展開しています。
ぬいぐるみ
Tシャツ
マグカップ
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