「才能が無い」
この言葉に悩まされた人がどれだけの数いるでしょうか。
子供のころにスポーツをやったとき、絵を描いたとき、歌を歌うとき
担任の先生や両親、友達に、そして自分自身に言われた「才能が無い」という言葉
私はこの言葉は一番残酷な言葉であると思います。
この言葉を言われた瞬間、急に恥ずかしくなってしまってもう人前ではやりたくない。
そう思った人がどれだけいるでしょうか。
私は運動はほぼできないので学校での体育の時間はいつも恥ずかしい思いをしていました。
特に球技がダメでした。
その時やっぱり自分には才能がなくて向いて無いんだなと思いつつ、
自分の好きな美術に関しては力を入れていました。
それでも高校や大学受験での予備校の友達や先輩で、もちろん自分より才能がある人もいるわけで、
その人達と自分を比べてしまい、「才能が無い」と感じることは今でもあります。
自分のあまり好きなことじゃないことならまだしも、自分の好きなことに関して才能が無いと思うことって
結構な衝撃というかダメージを負ってしまいますよね。
好きだったことでも、これも自分には才能がないのかもしれない
そう思うとまた自分が恥ずかしくなって、嫌になって、やめたくなる
その気持ちの悪循環が始まってしまいます。
そもそも才能ってなんでしょう。
自分と同じぐらいの歳で自分より絵がうまい人がいたら自分より才能があると言えるかもしれません。
しかし、この才能があるという言葉は=上手いという言葉であって、
もともと努力しなくてもうまいのか、努力してうまくなったのか、
その両方をごっちゃにしている気がします。
これが曖昧なことが「才能がない」という言葉の悲劇の原因だと思います。
サッカーの「才能がある」と思った人がいても、子供の子らから日常的に遊びの中でサッカーをしてきたから。
絵の「才能がある」と思った人でも、いろいろな美しい物を見る習慣があったからかもしれません。
初めてやったことでも実は知らず知らずのうちにその基盤となる経験をたくさんしてきたのかもしれないのです。
そう考えると「才能」という言葉はその多くは曖昧だと思います。
また、美術の世界では作家としての仕事の寿命というのはとても長く、生涯制作していくことになります。
そうしたときに20代の才能がある無いなんてほとんど差のないようなものであると思います。
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